おはようございます(o^^o)3連休楽しんでいますか?
さて☆今日はノート指導についてです。
「書く」意味
そもそも、なんでノートに書くんでしょうか。主に3つあるかなと思います。
一つ目は、「メモ」です。忘れないように、必要なときに見返して思い出すためです。ということは、読める字であることが大切ですね。あくまでも自分が。相手のために残す「メモ」なら相手にも読める字で、ですね。しかも、意味が分かるように書かれていないと、見返しても意味不明になってしまいます。
二つ目は、自分の頭の中にある考えやアイデア、相手の考えやアイデアを「表現」「整理」「分析」するためです。授業の練習問題をしたり、友達の意見をかいたりするのはこれにあたります。人間って信じられないくらいの量を一日に考えているそうです。「考える」というか「思っては消える」ですね。それを表現し、整理・分析するためにノートを使います。
三つ目は、今後も使える情報として「まとめ」をするときです。二つ目の「表現」「整理」とほとんど同じですが、最後にしっかりまとめ、「今の解釈は、これはこうである。」と結論づけることって、とても大事ですよね。いろんなことを考えている思考の過程が二つ目のノートをとる意味で、最終的な今の結論が三つ目です。授業では最後に「まとめ」「振り返り」をします。それがここにあたります。
「書く」という行為は、頭にも残りやすいし、たくさんのまとまらない考えを整理するのに非常にいいことなのです。私も、何かアイデアを出すときは必ず紙に書きますし、todoリストも作ってます。
現状の問題点
黒板の内容を写せる児童やさらに自分の考えや先生の話していたことをノートに整理している児童がいます。しかし、このようにノートが書けているから、しっかり考えていることになるのでしょうか。
中には、丁寧に書こうと思うあまり、こだわりすぎて授業の内容が頭に入っていない子もいます。
反対に、全くノートは書かないけど、よく挙手をして意見をたくさん出している子もいます。難しいですよね~💦なので、ノートにかかないから「ダメだ」という考えは私にはありません。
書けない子の背景
「書かない」のか「書けない」のか。何か支援をすれば「書けない⇒書ける」になるのか。そういう視点で子どもたちをみることってとても大事です。
特別支援では、ノートに書くことに困難を示す子の背景を学びました。
《背景1》そもそも目で見た文字を脳にインプットできない。
《背景2》文字が読めない。目で見た文字がインプットできたとしてもそれが何を示しているのかわからない。
《背景3》黒板の内容を一時的に脳にインプットできない。(ワーキングメモリ)黒板の内容を正面を見て覚えて、手元にあるノートに目線を動かします。一時的に覚えないといけないのです。
《背景4》目と手の協応がうまく働かない。目で見たことを、手で文字にすることの難しさ
これだけみても、何かしらに困難さがあると、黒板の内容をノートに写すって、とても大変なんですよね。
結局どうしたらいいのか
なので、先ほども述べましたが、「書けない」のか「書かない」のか。そして、書く意味は何か。子どもにとって、その行動が意味のあるものでなければならないと思います。
一斉に「全員ノートに書きましょう」と言うのは、「書けない」子にとっては辛いだけです。学校が嫌になっちゃいます。勉強が嫌いになっちゃいます。
教師として、できることや実際にやっていた(やっている)ことを紹介します。
☆「書かない」子には、書く意味を伝えること。(先生と本人の意見の相違はあり得ます。押しつけではなく、だからといって言いなりになるのでもなく、お互いの妥協点を見つけて進めています)本人のそのときのコンディションもあるのでそれも視野に入れて関わります。(朝、友達と喧嘩したとか、なんかだるいとかね)
☆文字数が多くて「書けない」子には、『黄色で書いてあることだけにしよう』と、本人と量を決めて書くようにしています。
☆ディスレクシアの子などには、黒板の写真を撮ることを許可して学びの保障をしてあげる。
まだまだあるかもしれません。我々教師は医師ではないので、診断はしません。その子の今現在の困難に寄り添い、できる支援をその都度考えて行くことが重要だと思います。忘れてはいけないこと、それは、子どもたちを取り巻く「環境因子」をできるだけ、子どもたちにとって快適な状態にするということです。個々にニーズに応じた支援とはそういうことだと思います。「勉強が楽しい」「ちょっと分かってきたぞ!」と、キラキラした目で言ってくれる子がいます。そのとき私はとっても嬉しい気持ちでいっぱいになるんです。「ノートを綺麗に書く」「黒板の内容はうつす」もちろんそれが簡単にできる子はいます。もしかしたらそれが「理想的な教育・学び」と考える人もいるかもしれません。でも、根底は「子どもの学習の権利」「子どもの学びの保障」「子どもたちが、各自のペースでやり方で学ぶことを認めていく」「笑顔を守る」そういう部分だと思います。
いつも思いますが、正解は一つではありません。これは私本人の考えであって、隣の先生は違う意見かもしれません。どっちが正しいという議論もしません。根底に「子どもたちへの愛、リスペクト」があればいいと思います。ただし、前の記事でも述べたことはありますが「熱心な無理解者」はダメです。これだけはっきりしています。それだけはしないように心がけています。何が子どものためなのか、、、これも難しいですね。これからも学びは続きます。学びは楽しいですね☺
より子どもが輝けるように…お互い学び続けていきましょうね♪
最後までお読みいただき、ありがとうございました♡ くま